さて、嫁のおじいさんの通夜・告別式と出席してきました。
いやぁ しかし疲れました・・。何もしてないのに。まぁあちらの方々が気を使ってくれてたにも係らず、知らない人ばかりの中にいるんで気はこれでも使ってたんですかね・・。
でも喪主ってたいへんだなぁ 嫁の父親が喪主を勤めたんですけど、亡くなった病院の手続きから始まり、式の手配、お寺への連絡、親類や友人への連絡、式の仕切り、・・・・。時間のない中でやる事多すぎ・・・。まったく忍ぶ暇もない。終わってもお返しや挨拶周りが続きます。つくづく三男でよかったと思いました。父親や兄貴も大変だったんだろうなって。俺なんて泣いてばっかで何も手伝った記憶なしです。
到底できないな・・・。
でもそれでいいのかもしれませんけど。悲しい気持ちも少しはまぎれます。そうやって時がたって間をおいてから偲べばいいのかもしれませんね。
あちらのお母さんも大変だったろうな。義理の父親(おじいちゃん)と同居して面倒みて、主婦業プラス介護もしていたわけです。凄いなぁ・・・。そのバイタリティはなんなんだろう?いまどきの人じゃ無理ですよね、絶対に。「肩の荷が下りてホッとしたけど、寂しいな」って俺に泣きながら言ってました。でも喪主の挨拶の時にお父さんが「ここまでこれたのは、妻のおかげだと思っております。この場を借りて感謝します」って言ってました。かっこよかったなぁ あれだけの忙しさの中、悲しみの中でその一言が言えるってかっこいい。喧嘩ばかりだといっていたけど、そういう芯があるからお母さんもついていってるんだろうな。
K次郎も人の死に立ち会えたのは良かったです。明らかに感じとってました。この間まで話をしていたおじいちゃんが眠ったままおきないわけです。そして火葬され骨になり、みなが涙を流す。あの空気を感じてくれただけでおじいちゃんに感謝です。死してなお残った人に何かを残す。式でも一緒にお辞儀をしたり、合掌したりしてくれました。理解はできないかもしれないけど、死というものがどういうもであるかは言って聞かせました。ちゃんと聞いてくれたしね。俺の時は喪主頼むよ!そして泣いてくれ。
やっぱりこういう機会って大事ですね。普段は生活の忙しさで考えないことをいろいろ考えさせられましたし。
さてオカンとオトン、そっちにおじいさんが行きました。挨拶しておきてくれよ!
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